ヒロシマの日に思うこと

ヒロシマの日になるといつも思い出すのは2つのこと。1つは米陸軍長官スティムソンの京都原爆投下案の却下。もう1つは広島カープ誕生の軌跡。

スティムソンの日記に「私は京都を目標から外すべきだと大統領に伝えた。もし一般市民が暮らす京都に原爆を落とすという理不尽な行為をすれば、戦後和解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうと。するとトルーマン大統領は『全く同感だ』と答えた。」と書かれている。スティムソンがハネムーンを含め2度京都を訪れた旅の経験がなければ、異なる歴史になっていたかもしれないということ。(ちなみに3発目東京という案もあったらしい)


カープは、原爆で焼け野原になったヒロシマで滝を登る鯉のように絶望から立ち上がる復興の道標として、スポンサーなしの市民球団として生まれたPeace Makerだということ。一野球ファンとして娯楽の原点に絶望があったことを忘れてはならないね。

★広島カープ誕生秘話はこちら


平和は当たり前ではない。100年たてば社会は別の人間で置き換わる。だから記憶は風化する。街の風景も変わる。次世代にどう伝えるかという意味では、やはり原爆ドームの存在は大きいなと思う。

鮫島卓研究室 SAMETAKU-LAB

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