旅は自分を「コペルニクス的転回」させる

天動説と地動説

コペルニクスと聞いて地動説を唱えた人と連想できた人は、世界史や理科の天文をしっかり学んだ人だろう。地動説とは、地球が宇宙の一部であって、地球(惑星)が太陽(恒星)の周りをまわっているという考え方である。今では、常識となった地動説が、常識となるまでには実は何百年という歳月がかかった。それ以前は、地球は宇宙の中心である天動説が常識であった。天動説は、太陽が昇り沈むという「見えていること」からわかる現象を起点としていて、多くの人が信じていた。そんな中で地動説を唱えたコペルニクスは、天動説による1年のズレに関心を持って、地球が太陽の周りをまわっていることを証明する。しかし、その説を、多くの人は信じなかったものなのだ。しかしそれが、コペルニクス以降の多くの科学者によって、地動説が正しいことが証明され、それが今や私たちの常識となっている。このように、物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉として「コペルニクス的転回」という言葉が使われるようになった。

よく考えると、社会・世界・人生を考える時にも、天動説的考え方と地動説的考え方はずっとついてまわる。地球を自分に例えると、自分だけが世界の中心にどっかり坐って世界を見ている天動説的な思考なのか、あるいは自分を世界の一部として世界を見ている地動説的な思考かによって、世界の見方は大きく変わる。どちらかと言えば、人間は自分を中心に物事を見ていくことを基本にして生きている。しかし、「見えていること」だけで判断し、自分ばかりを中心にして物事を判断していくと、世の中の本当のことを、つまり真理や本質について知ることができない。天動説から地動説へのコペルニクス的転回は、まさにそれを象徴している。


物事の見方と旅の役割

例えば、今あなたが着ている服は、どこの国で作られ、誰が作ったか知っているだろうか。スマホのクリック一つで買いたいものを変える便利な時代になったが、一方でどこでだれが作ったかも知らずに私たちは生きている。また、Googleで「福島」と「FUKUSHIMA」で画像検索すると、前者は地図や観光地の写真が検索結果として表示されるが、後者は福島第一原発事故一色である。インターネットは真実を表しているのではなく、あくまで人々が知りたいと思う情報を表示しているだけである。2つの事例からわかることは、なんと私たちは、無知の上に世界を見ているのか!、ということである。


世界の本当のことを知るためには、時には自分中心の物事の見方を捨てなければならない。「見えていること」だけで判断せず、時には疑って自分から「見ようとすること」で、世界と自分を見直してみる必要がある。それを意図的に可能にするのが、旅なのである。


自分の見えている範囲の世界をあえて超えて移動し、新しい世界を見て、その新しい世界からまた自分を見る。その時に、自分が「見えてみたもの」が世界のすべてではなかったと気づくはずだ。旅は、身体的な移動を伴て意図的に環境を変える行為である。それがもたらすものは、地動説的なものの見方、つまり自分を世界の中心として眺めるのではなく、世界の一部として相対化して見ることなのである。それができた時に、本当の世界を知ることに一歩近づくことができるだろう。無知の知こそ、学ぶ意欲となる好奇心の原点である。


駒沢女子大学 学燈会講演より,2019.10.28

(以上)

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