【事後レポート④】さめたく塾 「マス・ツーリズムと旅行業の未来」

さめたく塾Vol.4(2018年11月9日)は獨協大学鈴木涼太郎准教授をゲストに「マス・ツーリズムと旅行の過去と未来」をテーマに盛況に終わりました。一般の方にはなじみのない観光の大衆化・大量化・団体旅行化を表す「マス・ツーリズム」という言葉ですが、実は観光学者の中では、批判的に語られ悪者扱いされることが多いのです。私自身、実務家から研究者の世界に足を踏み入れて最初の衝撃がこれでした。旅行者をたくさん取り扱うこと、観光客がたくさん来てくれることが何が悪いの?という疑問を持つ方も多いでしょう。実際、私が行った調査では、旅行会社で働いている方の中でも「マス・ツーリズム」を認知している人は少数派です。観光学の教科書の最初に必ず出てくるこの「マス・ツーリズム」の功罪とその批判をレビューしつつ、昭和型団体旅行の旅行とインスタ映えを求める個人旅行の旅行形態の比較からツーリズムの本質を考える議論を行いました。

まず前段では、17世紀に近代旅行業のビジネスモデルを確立したトマス・クック(英)について紹介し、それまで特定の人のために特定の範囲で行っていた高額な旅行を、産業革命による蒸気機関車を活用して多くに人々に提供する団体旅行として低価格化を実現して、ツーリズムが大衆化されていった経緯を解説しました。その意味では、旅行業は産業革命の申し子とも言えるのです。この時に誕生したビジネスモデルが、現在の旅行業でも脈々と息づいており、世界中の人々が自分の意思で喜びのための観光を行うことができるのは、こうした仕組みがあるからとも言えます。


しかし、一方でこうした観光の大衆化は、オーバーツーリズムによる混雑や住民との衝突、環境破壊、文化の偽物化など「観光公害」としての側面が多くの観光学者によって指摘されてきました。そして、そうした反省を踏まえて「ニューツーリズム」や「着地型観光」などがその代替策として提示されるようになっています。しかし、「ニューツーリズム」や「着地型観光」は、理念として語られることは多くても、そのスケールの壁のためにビジネスとして成功している事例は多くはありません。そもそも観光が大衆化・大量化することは本当に悪なのでしょうか?今回はそうしたあるべき論を一旦脇に置いて、マス・ツーリズムの典型事例とも言われる昭和型職場旅行に代表される団体旅行と、その対極にあるとされるインスタ映えを求めていく現代の個人旅行者との比較から、ツーリズムの本質を考えていきました。


職場の団体旅行のプロセスとインスタ映えを求める個人旅行のプロセスを紐解きながらわかったことは、その両方ともに「共有されたルートをたどりながら、見知らずの人たちがたくさん集まる場所に行って、みんなでお決まりのふるまいをする」という点においては、共通するのではないかということです。旅行中の写真撮影で言えば、「集合写真」と「セルフィー」の違いはあるものの、お決まりのふるまいをするという意味ではあまり変わっていないことがわかります。それをふまえて、いい旅行とは何か?また、旅行業はどうあるべきか?という問い対して、たくさんの参加者から意見を頂きました。

「集団行動を伴う団体旅行は、受動的でどこに行っているかさえわからない状態なので、観光地の歴史や文化など地域の文脈とはかけ離れたものになってしまう」
「決められた予定調和を確認するための旅行であれば、面白くない」
「行動の総和としては団体旅行も個人旅行も同じかもしれないが、個人の意思決定という意味では、前者が受動的で後者のほうがまだ能動的ではないだろうか」

などたくさんの意見を頂き、活発で有意義な議論ができました。


昭和型団体旅行と平成型個人旅行の観光行動の比較から見えてきたことは、旅行の手段や旅行者個人の能動性に違いはあるものの、行動そのものの本質はあまり違いはないということです。そして、昨今のオンライン旅行会社(OTA)に移行しつつある「旅行ビジネス」がもたらしている観光行動も、実は本質的にはあまり変わっていないのかもしれません。つまり、旅行の手段は変わったけれども、旅行行動にはそれほど大きな違いはないというということになります。この行動の背景には、旅行者の動機に理由があるように思います。見知らずの人々がなぜ同じ行為をするのか。鈴木氏は、ツーリズムの本質に「コミュニティ(共同体性)」としての機能があるのではないかという提示をしてくれました。これは非常に面白い観点です。だとすれば、こう考えることができます。旅行者が個人旅行化しても「共有されたルートをたどりながら、見知らずの人たちがたくさん集まる場所に行って、みんなでお決まりのふるまいをする」のは、「共通のふるまいを求める仲間が集まるコミュニティを求めているから」と。同じことをするふるまいを批判ではなく、可能性に目を向ければ、こういう見方ができます。

実際、バックパッカーで「ひとり旅」をしていたときには、厳密にいえば修行僧のようなひとり旅でなく、旅先で出会った仲間と共に行動していて「ひとり旅」ではなかったように思います。また、私が実務家時代に確立したスタディツアーは、「まったく見ず知らずの人が、ひとりで参加でして、あるテーマのもとに共通のふるまいをするツアー」でした。つまり、スタディツアーとは、「あるテーマの下で共通の関心のある見知らずの仲間が集まる旅行コミュニティ=3rd Place」と定義してもよいかもしれません。私自身が、ツアーデザインで特に気を使っていたのは、ツアー参加者が共通のふるまいをするけれども、参加者同士の対話を活発化させることで、旅行者による視点の違いを顕在化させることで「気づき」を促進することでした。こうしたことは、個人旅行ではできない団体旅行行ならでは付加価値と言えます。このように、「コミュニティ性」を内包した旅行が、次の団体旅行のモデルとなるかもしれません。


一方で、今回の議論を通じて、いくら個人旅行化しても「マス・ツーリズム」の弊害は消えることはないというこも見えてきました。「観光公害」などマス・ツーリズムの悪いインパクトは、観光地の持続可能性という観点では解決されるべき問題です。最近の経営学研究でにおいて、インターネットが作り出した世界は、「フラット化」ではなく、「集積とスパイキー化」だと言われています。だとすれば、益々「マス・ツーリズム」の影響は加速することになります。その意味では、マス・ツーリズムの議論は、今後も注目すべき古くて新しいテーマと言えるでしょう。

(以上)

SAMETAKU-LAB 鮫島卓観光デザイン研究室

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